kabonkabon’s blog

「標準」=Happy?

 毎日色々ありますよね。

 

我が家では昨日、ちょっとショックなことがありました。

下の子は今1歳になるのですが、

左目の視力が極端に低く、ほぼ見えていない可能性があるとのことでした。

専門の病院の紹介状をいただいて、来月検査を受けることになりました。

場所はかなり遠いのですが、子供のために通うことにしました。

 

下の子については、実は考え出すと心配事がたくさん出てきてしまいます。

成長が「標準」から大きく外れているのです。

上の子も発達がゆっくりで、体が小さかった。

でもそれを超えていて、経験を超えていて、正直想像できません。

体重がここ2カ月増えず横ばい、1歳すぎているのに掴まり立ちもまだできない、

考え出すと不安になるだけなので、

考えないようにするクセがついてるかもしれません。

でも最低限のことはやってあげたく、専門病院の育児相談には通っています。

そこにきて、

目のことがわかったとき、

正直、さらに心配事を背負ってしまった気持ちになりました。

視力がこの先よくなるかどうかもわからないこと。

ずっと何年も、遠い病院に治療に通うこと。

私、パパの役割(稼ぐ)もやらなきゃいけないんだけどなぁ・・・。

治療するとなるとなおさらお金が必要です。

なんだかいろんなことがつながって涙が出ました。

 

でもね、赤ちゃんはかわいいのです。

にこにこ笑って、とっても幸せそうなのです。

 

幸せってなんだろう?

 

私は自分の中に

「標準」=Happy

「標準」≠ Happy

という考えが染みついていることに気がつきました。

身体にハンディがあることをかわいそう

環境にハンディがあることをかわいそう

そういう考えがあるなぁって気がつきました。

 

ご近所に障害のある小さいお子さんがいます

じゃあそのママとお子さんはかわいそう?

私は旦那を早くに亡くしているけど、かわいそう?

・・・そんな風には、思わないなぁ。

ご近所のママとお子さんも、私も、笑っています。

色々あるとは思いますが、幸せに生きています。

 

じゃあ、なんで自分の子の成長が「標準」でないからといって

すごく心配したり不安になったりする必要があるのだろう?

そう思ったら、なんだかふーっと、手放せました。

 

これがこの子の「ちょうどいい」なんだなぁって。

 

世間からは言われます。

世間一般とやらの○○像、押し付けられます。

先日も「ママなのに○○できていない」というニュアンスのことを

どこかの誰かに言われて、

あなたに私の何がわかるのだろうと思ったばかりでした笑

でもいいのです、それも仕方ないのです。

そういう「世間一般」とか「平均」「標準」にいると安心するのは

人間の本能なのかなぁと思います。

とくに日本は和を重んじる反面、そうなりやすい環境な気がします。

無意識のうちにその考え方が染みついているということに私も気がつきました。

 

もしかしたらうちの赤ちゃんも

どうなるかわからないけれど

片目が極端に見えなかったり

身体が極端に小さかったり

発達が極端に遅いかもしれないけれど

「標準」だからHappyってわけじゃない

「標準」じゃないからUnhappyってことでもない

この子はこれでちょうどよくて、

この子のペースでよくて、

この子が笑って幸せに生きることを大事にしていければいい

 

もちろん、できる範囲の努力はします^^

 

私も「標準」でいようとしなくていいんだなって

思ったらなんだか楽になりました^^

別になんの状況も変わらんのですが。

なーんだ。大丈夫なんだ。笑

 

私の指標は

パパの稼ぐ

ママの笑顔

これだけです。

これだけやっておけば

誰に何と言われようと、あっそ、で済ませられるやって

改めて思いました。

 

赤ちゃんの片目がほぼ見えてないかもってわかってよかった!

早くにわかってよかった

治療法が色々選べるかもしれない

この子はこれでちょうどいい

標準でなくても全然いい

笑って幸せに生きる方法を大事にすればいい

自分の生きる指標についてわかった

 

すっごくたくさんの大事なよかったがわかったから、

目のことにはかえって感謝ですね^^